
前職を辞め、学生時代から好きで得意科目だった英語の教師を目指し大学に入り直し、20代後半で教員免許を取得。中高一貫の学校で3年程働く中で主に中学1年生から高校2年生までを担当。
現在は韓国系語学学校でインターンをされながらIELTSの勉強中。教師ならではの目線でみた日本の英語教育やフィリピンでの英語学習について、またそこで感じた文化や価値観の違いを本音で語ってくれます。
戸井田様は海外インターン募集記事も掲載しておりますので、ご覧ください。
教育都市バギオ!3校舎経営の韓国系語学学校での海外インターン
2年前に学校に勤めていた際に、夏季休暇を利用しまして10日ほどセブ島の英語学校に行ったことがありました。フィリピンの他の土地でも英語が学習できるとは知っていたんですけど、その時はバケーションの要素もあったので海があって観光もできるというイメージから迷わずセブを選びました(笑)
行く前からすごく興味があったんですけど、結果的に想像よりも良かったですね。刺激的な日々を過ごせました。先生の教え方を知れたりだとか、マンツーマン授業の魅力だとか、英語を学ぶにはすごくいい場所だなとも感じましたね。
んー、やっぱり自分に対して自己嫌悪感が強くなってきていたからですね。英語を教えているのに十分じゃないなって思っていたんです。特に高校生に教える際は、文科省の教育方針でALL ENGLISHで授業をする流れで学校としてもそのように舵を取り始めていたんです。
そうですね。自分もすべて英語で授業を行っていたんですけど、なかなかうまく出来なかったですね。自分のオーラルの能力(意思伝達力)の低さを感じていまして、そこをなんとかしなければ生徒にとっても良くないなと思っていました。
いくら教師が英語で授業をしても、中途半端な英会話力で話したところで、子供の英語力が上がるは到底思えなかったんです。
自分の学校は進学校で、受験に合格することが大事だったので、詰込み型の英語学習になりがちだったんです。なのでオーラルだとかアウトプットを中心にした授業をなかなか行えない中で、子供たちに英語を使って授業をするという難しさはありました。特に中学校3年生以降になると分法的な内容も複雑化してきます。
例えば過去完了進行形なんて会話では絶対につかわないですし長文読解などで必要になってくるのというのはわかるんですけど...日本の教育システムを見直す必要があるかもしれませんね。
実際IELTS(リンク)のテストって点数が必要でない人にとってもすごくいいテストだなって思っています。
テストの構成がしっかりしていて、特にライティングとスピーキングは英語学習には本当にいいですね。スピーキングに関しては評価基準が凄くしっかりしていて、自分がアウトプットしたものが客観的に分析されて帰ってきますし、そして日常会話に直結している評価が点数に直結します。
例えば put on だとかcome up with だとか。
難しい単語を使うよりもそういったphrasal verb(熟語、句動詞)を使う方が評価が高くなる傾向にあるので、スピーキングも必然的に上がるようになっていると思います。
そうですね、全く別物ですし、IETLSは海外移住や海外の大学進学の評価基準にもなっているぐらいです。スピーキングに関してはネイテゥブが日常会話で使うようなナチュラルな表現を使えば使うほど得点があがります。
論理的に話せるかどうかというのも点数に使がりますし、英会話力だけじゃなくてプレゼンの練習なんかにも効果的なんじゃないかと思いますね。僕自身も良く話すようになりましたし、客観的に伸びたという実感があります。
英語力はもちろん高いんですけど、まず本当に的確ですね。
自分が完璧だと思って出したエッセイが真っ赤になって返ってくるとすごく嬉しいですね。分法的には正確でもバッサリと(笑)
後は読んでもらえない時もあるぐらいです。論理的飛躍が多すぎるって言われます。
日本人って“行間を読む”って表現されることがあると思うんですけど僕はその傾向が強いのかなと思いますね。指摘されるといつも“あーなるほど“って思いますし、自分ではなかなか気づかない弱点を教えてくれます。自分の論理の外側から客観視してみてくれる存在というのはとても大きいですね。
人柄も凄く良く、熱心に教えてくれるので先生に差はあれど全体的にはかなり満足出来ています。
この立場はすごく面白いと感じていて、学生では結びつかないであろう人との交流もあります。いろんな人に出会って、同じように生きづらさを感じている人にも多くで会いましたし、そういう出会いの中での発見というのもたくさんあります。自分が成長している実感を得られるんです。面白い仕事だなと思いますね。
やはり彼ら(韓国人)とは考え方もかなり違うと感じますね。
“勉強に臨む姿勢”
“他者に対しての思いやり”
“ルールに対する従順さ”
など日本人とはかなり差があるのでデリケートになるケースが多いですね。
自分は理解するということをあえて辞めています。
理解しようとすると自分の思考の枠組みから判断してしまうので、そうするとイライラしちゃうんですよ。“なんで守れないんだ”とか、“日本では常識なのに”とか
やっぱり彼らの常識とは違うのでそこでのコミュニケーションは成り立たないんじゃないかと思っています。
なので、“あ、違うものなんだ”っていうものを受け入れつつ、客観的にルールに従って判断をくだしていく。なんていうのかな、バランス感覚ではないですけど、異質にものに対する自分をコントロールする能力が求められると思います。
自分の心を心でコントロールしようとするのをやめました。
ムカつくときってあるじゃないですか。それを“怒っちゃダメだ、怒っちゃダメだ“って抑えても、自分はなかなかコントロールできなかったんですよ。そういう感情は出したくなくて、常にポーカーフェイスでいたいのに顔に出ちゃっていたんですよね。
やっぱり、そのことを心に判断をゆだねていてはダメなんだというのが今の感覚です。
感情的に“ガー”となってしまった時、今は3つの事を意識しています。
“姿勢”と“呼吸”と、“笑顔をつくる”こと。
それって外面的な事で心と繋がっていないですよね。でもそれを意識して正していくと逆に心が正されていく感覚があるんです。これは日本にいては気づかなかった点です。多文化に触れる中で、その違和感であったり違いに触れる中で意識するようになり、得られたものなのかなと思っています。
多くの人に当てはまりそうですけど、海外に出ると自分を客観視することが多くなると思うんです。僕はこういった気づきが得られるこの時間はとても貴重だと思いますね。
自分ってすごく自由な人だと思うんですね。僕はもう30歳を超えていますし、そろそろ実を固めて落ち着いてもいいころだと思うんですね。そういう中で自分がやりたいことをやれているってすごく幸せなことだと思うんです。
でも同時に自由な人って不安があると思っています。自分が自由であるからには不安を受け入れて、それを覚悟っていったら大袈裟ですけど、不安と共に、自分の可能性を開拓していきたいなと思っています。
本日はインタビューにお答えいただき、ありがとうございました。
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