【第三世界の現状との根深い関係性】フィリピン人にとって”歌”とは

はじめに

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バギオにきて2週間が経過し、ここにきて自身の価値観の中で多くの” 違和感 ”に遭遇する毎日を過ごしております。
何よりも、この” 違和感 ”を感じる毎日が楽しく、もう3週目なのかというように、時間が過ぎるのを早く感じます。

 

今回の記事内容としましては、フィリピンの歌事情について私の見解とお伝えさせていただきたいと思います。
キーワードとなる部分に下線をひいておりますので、ぜひ読んでいただけたら幸いです!

 

 

フィリピンに来たら、一度は感じるのではないでしょうか、

「何で、あの人歌口ずさんでいるんだろう?」

「ここで歌って恥ずかしくないのかな?」

「フィリピンの人歌うまい!」

「何でこんなに陽気なんだろう?」

 

実際に私自身が経験したフィリピンでの生活では、” 歌 ”と現地の人との生活には、

 

深い繫がりのようなものを感じます。

 

例えば、ある語学学校では朝7時になると欧米で流行っている歌をアラームのように、毎日流していました。

 

また、スーパーに行くとお客さんや、従業員さんが販売の品であるテレビの大画面を使ってカラオケをしていたりと、
歌に関して現地の人は” 自由 “を感じます。

 

先日2月14日”バレンタインデー”、日本においては、好きな人へチョコレートをあげるという風習がありますが、
フィリピンでは、男性が好きな女性へ向けて”歌”と花束をプレゼントするという風習だそうです。

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このように、フィリピン独特「” 歌 ”の世界」のようなものがあるのではないかと感じます。
実際に音楽が流れ始めるとみんな揃って、歌を口ずさみ、リズムを刻み、陽気な雰囲気に遭遇します。

 

では、なぜ ”歌” なのか。

 

 

” 歌 ” とフィリピンの繫がりとは一体

 

語学学校の先生に

 

「なぜフィリピンの人は道端でも歌を歌うの?」

 

と尋ねると、

 

「歌を歌うことは今現在起きている問題、貧困問題や自身の周りでの出来事を忘れさせてくれるから」

 

と答えてくださいました。

 

” 歌 “とフィリピンの結びつきとは、歌は人びとの” 心を潤し “、また歌によって” 今日の源 ”となっているのではないかと先生との会話から感じました。

 

 

第三世界の現状と問題

 

先生とのお話にもありましたが、実際にバギオにおいて貧困問題がないとは言えません。
しかし、現地の方はこの環境を受け入れ、この環境の中でどう乗り越えていくのか、
一つの手段” 歌 ”というものが存在しているのではないかと感じました。

 

 

実際に、私自身バギオで三週間の生活を通じ、貧困問題を自身の目で見ました。

 

2月14日バレンタインでは、「AMAZING RACE」という現地の教会主催のイベントへ参加しました。
イベント概要としまして、主催者よりいくつかのタスクを与えられ、そのタスクを達成するためにバギオ市内を
グループレース形式で競い合ういうものです。

 

ここでの印象深いタスクとして、レジ袋を市場で現地の人へ1ペソ(約2.5円)で販売し、
グループで集めたお金をストリートチルドレンに手渡すというものでした。

 

初めてストリートチルドレンにお金を手渡しました。これまでは、お金を求められても渡さないように教わっていました。

 

なぜなら、そのお金は彼らの手には渡らないからです。お金の行方に関しては私自身まだ勉強不足なため断言できません。

 

ある少女にお金を手渡す際に願い事は何かと尋ねると、
「Anything(何もない)」というものでした。

 

彼女の言った「Anything(何もない」には果たしてどのような意味があったのでしょうか。

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” 歌 ”を通じ、貧困問題である世界を現地の方の生の声を聴き、
これから実際にどのように現地の問題があるのか、常に頭に置き、
私自身この「場」で何ができるのか、何をしたいのか、何を必要とされているのか、考え、行動して行きたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

セブターン
ヤマサキミサ

 

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このコラムを書いた人
山崎 美沙(Misa)

山崎 美沙(Misa)

立命館アジア太平洋大学/アジア太平洋学部/社会学専攻 就職活動を目の前にして「働く」=「生計」受動的な解釈でしか意義を見出せない今、この「場」で形成していく私オリジナルの「働く」意義とは一体何か。第三世界、韓国資本日本人少数語学学校インターンシップより、”自由”と”自責”が作り出す「ワタシ」とは。新規ライターになりたい方はこちらから

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